パーチェス便り

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#21 文学と「間」の問題――新元良一氏の問題提起

 私が新元良一さんに初めてお会いしたのは比較的最近で、2022年にニューヨーク学院長に就任したあとのことです。ただしそのお名前を初めて知ったのはかなり古く、かれこれ 40年ほど前、1980年代半ばごろからニューヨークに住まれるようになった新元さんが現代アメリカ作家を次々とインタビューしておられるのをいろんな雑誌で目にして、同じアメリカ文学に関心を持つ者として、大変頼もしく思ったのです。つまり、勝手にアメリカ文学を応援する同志と思い込んでいたのですね。その新元さんがマンハッタンにあるリセ・ケネディという学校の校長先生になられたということで、2023年でしたか、突如ニューヨーク学院に表敬訪問してくださったのですから、うれしい驚きでした。

 まずは1980年代にアメリカ文学が時ならぬポストモダン・ブームで盛り上がっていたことを、ご説明せねばなりません。

 ふりかえってみれば1960年代から1970年年代にかけての高度成長期、とりわけ1963年11月のジョン・F・ケネディ大統領暗殺を承けて、アメリカ文学はそれまで明るく陽気で元気いっぱいだった時代から暗く複合的で陰謀論に満ち満ちた時代へと突き落とされ、そうした複雑怪奇な時代を真っ向から描くために、高度に実験的で重層的で分厚い小説が次々と書かれたものです。トマス・ピンチョンやジョン・バース、ウィリアム・ギャディス、サミュエル・ディレイニー、それにロバート・クーヴァーといったメタフィクション作家たちが大活躍しました。

 ところが1980年代に高度資本主義時代を迎え、米ソ冷戦も最終局面へさしかかってみると、ひたすら分厚い小説のブームも一段落し、ミニマリズムやサイバーパンク、さらには北米マジック・リアリズムとも呼ばれることになる多様な作品群が登場します。ここで改めて経歴を確認して驚いたのは、新元さんは 1959年の兵庫県神戸生まれですが、ニューヨークはブルックリンで生活し始めるのが1984年で、これは私がフルブライト奨学金を得てコーネル大学に留学したのと同じ年なんですね。以後 22年間ニューヨークで生活された後、 2006年には京都芸術造形大学の准教授に就任しておられる。しかしそのお仕事の後には、再びブルックリンの生活に戻られて、現在に至っています。

 この 40年近くの間、新元さんは 1980年代に脂の乗り切っていた主流文学作家たちジョン・アーヴィングやポール・オースター、ジョーン・ディディオン、ブレット・イーストン・エリス、ラッセル・バンクスといった面々に次々とインタビューし、日本のカルチャー雑誌『エスクァイア』や『スイッチ』、文芸雑誌の老舗『新潮』などにぞくぞく発表しておられた。私自身はまったく同じころから、ポストニューウェーヴ系のSF作家たちウィリアム・ギブスンやブルース・スターリング、ジョン・シャーリイをはじめジョン・ケッセル、キム・スタンリー・ロビンソンといった面々と対話を重ねていました。新元さんのインタビュー集成は2001年に本の雑誌社から出た『One Author, One Book――同時代文学の語り部たち』と2005年に文藝春秋から出た『アメリカン・チョイス』の中に凝縮されています。(なお私が新元さんと行った唯一の対談については本ブログの第 15回「21世紀文学のすゝめ」で言及しました。下記参照。https://www.keio.edu/about-us/headmasters-voice-jp-jp

 ということで、新元さんと私では、ほとんどインタビューした作家のダブリはないのですが、ただし、まさにその「間」をつなぐかのように、ただひとりだけ重なっている人物がいます。北米マジックリアリズムの旗手と呼ばれるスティーヴ・エリクソンです。彼こそはウィリアム・フォークナーやトマス・ピンチョン、フィリップ・ K・ディックの伝統を継ぐ骨太の作家で、ベストセラーにこそ恵まれていませんが、デビュー長編『彷徨う日々』Days between Stations (1985年)からトマス・ジェファソン第三代大統領の数奇な人生をめぐる歴史改変小説『 Xのアーチ』 Arc d’X( 1993年)、第一期トランプ政権の初期に発表された『シャドウバーン』 Shadowbahn( 2017年)、バイデン政権誕生の瞬間を物語る最新作『アメリカは吃る』 American Stutter: 2019-2021 (2022年)まで、現在最も想像力豊かな実力派でしょう。彼のお気に入りの日本文学が夏目漱石の『こころ』(1014年)だというのも、環太平洋的視点からすると興味深いところです。

 ここで新元さん自身に唯一の長編小説があることも、忘れるわけにはいきません。2009年に文藝春秋から刊行された『あの空を探して』が、それです。英語タイトルとしては、表紙に“The Sky to be Revisited”と印刷されています。これは新元さん自身を投影したとおぼしき主人公がニューヨークで無二の親友となる日本人の母とアメリカ人の父を持つマックス太郎のことを切々と語る青春小説です。孤児院育ちのマックスはロナルド・レーガン大統領を実の父と信じ、その肖像を描いた凧を空に上げるのが大好きでした。そしてレーガンが再選された1984年、かの世界貿易センター・ビルのてっぺんから凧を背負っていまにも空へ向かって飛び立とうとするマックスの姿が描かれます。 何しろ1984年ですから、主人公をニューヨークに来られたばかりの新元さん自身に重ね合わせると、25歳。彼自身が抱える父への思いと、マックスがまだ見ぬ父へ抱く思いが重なり、それを青春の痛みとともに描く筆致がすばらしく感動的な作品です。

 そんな経歴を持つ新元さんが、ジブリ映画「千と千尋の神隠し」Spirited Away( 2001年)と日本独自の「間」について語ってくださった本日 10月11日(土曜日)の講演は、実に感動的でした。詳細はいずれどこかに発表されると思いますが、まず連想したのは、ここパーチェスに近いタリータウンに長く暮らした郷土作家にして十九世紀アメリカ・ロマン派の父祖ワシントン・アーヴィングの傑作短編「スリーピーホローの伝説」 “The Legend of Sleepy Hollow”(1820年)が、まさにオランダ系ニューヨークとイギリス系ニューイングランドの「間」を扱い、謎の首なし騎士に追われる主人公イカボッド・クレインが、やがて神隠しに遭ってしまうという、あのあまりにも有名な物語です。さらには、かつて若き日に卒論で扱った二十世紀アイルランド作家サミュエル・ベケットの不条理演劇「ゴドーを待ちながら」( 1952年出版、 1953年初演)を思い出し、つまるところあの作品は、キリスト教的有限直線終末論時間において、世界の初めと終わりに存在する「間」だけを、そしてその喜劇性を抽出したことが画期的だったのではないか、それこそがベケットと能など日本的伝統芸能との比較がこれまで試みられてきたゆえんではなかったかと再認識しました。しかしまったく同時に、新元さんがカオナシやトトロを強調した論脈からは、コーネル留学以降に集中的に読んだ黒人作家ラルフ・エリスンの傑作『見えない人間』Invisible Man (1952年)の主人公、すなわちマイノリティ存在が文明の「間」の空間を生きており、逆にそうした「間」がなければ現代文明そのものが成り立たないのではないか、とも思ったものです。その「間」が、まさに新元さんが唯一の長編小説『あの空を探して』で描くマックスの背後の「空」とも重なり合うことも。

 いずれにせよ、新元さんの講演に触発されて、まさに環太平洋的にして学際的な水準からさまざまな作家たちの作品が脳裏を駆け巡りました。そこで提供された多様にして相互に接続可能な視座の可能性は、講演後のレセプションにて、講師を囲んだ生徒たちとのディスカッションにおいても尽きることがなかったことを、付記しておきます。