パーチェス便り
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#9 ウェルズ記念日――または「アメリカの貴族」について
去る 10月30日のこと、ミズーリ州カンザスシティで開かれていた国際幻想文学会議に参加中、宿泊先シェラトン・ホテルのテレビをつけたら、その日がかれこれ 85年前の1938年にオーソン・ウェルズのラジオ番組「宇宙戦争」が放送された、まさにその日だったことが特集されていた。当時のスタジオ風景や記念碑まで残っていることをカバーし、専門家取材も含むCBS企画は充実の内容だった。
そう、これは、 19世紀末から 20世紀初頭へ至る世紀転換期に活躍したイギリスの文豪 H・ G・ウェルズ原作の小説『宇宙戦争』(1898年)をもとにしたラジオドラマだったのだが、オーソン・ウェルズの演出とサウンドエフェクトがあまりにも真に迫っていたために、本当に空から火星人が地球を襲ってきたと勘違いして、クルマで家を飛び出した人々が跡を絶たなかった…と語りぐさになっているあの番組である。今日では、基本的にフェイクニュースと受け取られかねない演出で騒ぎを起こしたとされるその「騒ぎ」の部分も、当時のラジオという新媒体を批判するための新聞ジャーナリズムによる演出だったことが判明しているが、それはかえってこのラジオドラマが二重のフェイクにくるまれていた面白さを露呈させる。ラジオもフェイクならそれを騒ぎに仕立て上げたジャーナリズムもフェイクだった。とすれば、マスコミ・メディアが暴走したら、ありもしない戦争すら実際に勃発しかねないのではないかーーという発想で初期の疑似イベントSFの傑作「東海道戦争」(1965)や『 48億の妄想』(1965)を発表したのが、筒井康隆だった。ちなみに、 H・G・ウェルズとオーソン・ウェルズの間には全く血縁関係はないものの(大体前者は “Wells”で後者は “Welles”だから、そもそもスペルが違う)、誤解されやすい自分の名前を手玉に取ってラジオドラマを仕上げたところも、天才のゆえんだろう。
この「ウェルズ記念日」が改めて気になったのは、それがまさにハロウィンの前日だったからだ。空から巨大な UFOがぞくぞく飛来し、見るもおぞましいシーフード型エイリアンが人類を襲うという設定は確かに恐ろしいが、見方を変えれば、仮に異星からの客が音もなく地球に潜入し、それがハロウィン当日だったら、エイリアンもエイリアンのコスプレとしてやすやすと見逃されてしまう可能性も考えられるからである。その可能性を一気に引き出したのが、スティーヴン・スピルバーグの『 E.T.』(1982)だったことは、言うを待たない。
ところで、ふたりのウェルズのことに久々に思いを馳せたのは、一昨年 2021年 2月 5日に、まさしくこのネタで、NHKテレビ「チコちゃんに叱られる!」に出演した記憶が甦ってきたからだ。そのタイトルはズバリ 「火星人はなぜタコなの?」。
たしかに今日でもなお、火星人といえばタコ型ないしシーフード型として広く認識されている。市井の人々のみんながみんなウェルズ原作やジョージ・パル監督の映画版に親しんでいるとは、到底思われないが、ともあれ火星人=タコというイメージが、マンガやアニメなどさまざまなメディアを経て一人歩きしてしまったのだ。
そんな話題に、いったいなぜ私が引っ張り出されたのかといえば、たんにSFの先祖ウェルズというだけでなく、そこにはアメリカ史上重要な人物、ボストン超富裕知識人(ブラーミン)の血を引く文化人類学者にして天文学者パーシヴァル・ローエル(1855-1916)が介在するからである。ざっくり言えば、ローエルは火星運河説の起源なのであり、 H・ G・ウェルズ『宇宙戦争』の霊感源だったのだ。
「ローエル」という姓を持つ一族は、 アメリカ史では欠かすことができない。パーシヴァル・ローエルの親族であるジェイムズ・ラッセル・ローエル(1819-91)は 19世紀中葉におけるアメリカ・ロマン派文壇きっての詩人であったし、モダニズム文学を代表しエリオットやパウンドと並び称される女性詩人エイミー・ローエル(1874-1925)はパーシヴァルの妹にあたる。19世紀中葉にはアメリカのマサチューセッツ州ボストンにボストン・ブラーミンと呼ばれる上流富裕階級出身の知識人集団がハーバード大学出身者を中心に存在したが、その中でひときわ目立っていたのがローエル家だった。その名家に生を享けた知識人、今日でもローエル天文台で知られる天文学者がパーシヴァル・ローエルなのである。
この「ボストン・ブラーミン」を理解するには、民主主義国家アメリカにあるまじき「アメリカの貴族」と捉えるのが一番早い。彼らが財力と知力のみならず、どれほどの特権をほしいままにしていたかを実感するのに、絶好のエピソードを披露しよう。
こんな有名な詩が語り継がれている。
古き良きボストンへ乾杯!
この地こそは豆と鱈のふるさと
そこではローエル家はキャボット家のみに語りかけ、
そしてキャボット家は神のみに語りかける
ボストン・ブラーミンの主要メンバーには国民詩人ヘンリー・ワズワース・ロングフェローや前掲ジェイムズ・ラッセル・ローエル、ボストン美術館の日本美術コレクションで知られるウィリアム・スタージス・ビゲロウらが含まれ、ハーヴァード大学周辺で高度に知的な人文学的話題を語り合うとともに、それこそ語学の達人揃いだったためイタリアの国民詩人ダンテの共訳に勤しんだりしていたものだ(マシュー・パールが文字通りボストン・ブラーミンを主役にした小説『ダンテ・クラブ』 [2003年、邦訳新潮社]では医学作家オリヴァー・ウェンデル・ホームズが名探偵ホームズばりの大活躍をする)。そして上の四行詩を見れば、そうそうたるお歴々を含むこの貴族階級のうちでも、パーシヴァルの生まれたローエル家がいかに高い地位を占めていたかがわかるだろう。
具体的には、パーシヴァル・ローエルはハーバードを卒業後に父から十万ドルを譲り受け、それを投資して、最終的には死ぬまでに二百万ドルにまで増やしたという。 2007年度の GDP比率による換算では5.5億ドルだから、 800億円は下らない(湧井隆「パーシヴァル・ローウェルは日本人と火星人をどう見たか」参照、国際シンポジウム「異文化としての日本」記念論文集 [名古屋大学大学院国際言語文化研究科、2009]所収)。圧倒的な知力に加えて気の遠くなるような財力に恵まれていたら、いったいアメリカの貴族は何をするのかという好例が、パーシヴァルのあまりにも愉快な人生なのである。
当時は日本の開国を受けて、バジル・ホール・チェンバレンやアーネスト・フェノロサ、チャールズ・ロングフェローといった日本研究に乗り出す学者がひしめいていたが、パーシヴァルも自身の 1883年以降の来日体験をもとに1888年に『極東の魂』という研究書を書く。これが、ラフカディオ・ハーンに影響を与え、彼が 1890年に来日し松江に赴き「小泉八雲」となるきっかけをなした。以後もローエルは『能登』( 1891年)や『神秘の日本』( 1894年)を世に問い、独自の日本研究を深めていくが、全く同時に火星の研究を始め、徐々にそちらの方向へ力点を移動させていく。
イタリアの天文学者スキャパレッリやフランスの天文学者フラマリオンの影響下で、火星には運河があるから火星人が存在するはずだという前提で最初の『火星』( 1895年)を刊行し、さらに 20世紀に入ると『火星とその運河』(1906年)『生命の棲家としての火星』( 1908年)を続々と刊行する。エドガー・ライス・バローズの「火星シリーズ」ならぬ「火星研究シリーズ」と呼ぶべきか。これらの諸作で、ローエルは火星が生態系としては惨憺たる有様で極冠から水路を引く灌漑のために火星人は運河を構築したのだと説く。そして、それほどの技術を持っているのだから、ローエルは火星人にあっては「頭脳が肉体的限界を超えて」いる、すなわち「頭脳が圧倒的で肉体がそれに従属している」と考えていた。彼自身は、それ以上の火星人の形状を想像してはいないが、まさにこうした「頭脳が圧倒的」という着想こそは、H・G・ウェルズをして『宇宙戦争』( 1898年)における頭でっかちでタコそっくりの火星人の地球侵略を構想させるに至ったのは、容易に推測できる。
もともと日本人を研究していたローエルが、次に火星人を研究し始めたことは、あまりにも興味深い。折しも日清戦争が戦われ、ジャポニズムとともに黄禍論が勃興していた時代であったから、帝国主義ゲームに乗り出し始めた世紀転換期アメリカを代表する知性が日本に魅力と恐怖を感じたのちに火星にも魅力と恐怖を感じるようになったというエキゾティシズムが、そこにある。今日、火星運河説そのものはとうに否定されているので、ローエルを天文学者として評価する者はいない。ところが、彼の火星運河説がなければ、地球を火星人の植民惑星に、火星を第二の地球に見立てる SF的想像力は決して育たなかったろう。
もちろん、パーシヴァル・ローエルが考えた火星像は全て間違っていたのだから、挫折した天文学者に過ぎないではないかと斬り捨てることは、自由である。しかし、全く同時に、彼が紛れもない知的エリートかつ研究資金を湯水のように使える「アメリカの貴族」であったがために、あまりにも大胆なーー今日であればトンデモ本的なーーアイデアを掴み、そのあげくに挫折した天文学者だったこと、しかしそれと引き換えに、多くの人々を楽しませ、今に至るも夢を掻き立て続けていることもまた、事実なのだ。