パーチェス便り

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#17 ニューヨーク日本語新聞事始―― Daily Sun New York連載開始を機に

   ニューヨークにおける日本語新聞は、長く日本人共同体をまとめ上げる中枢であった。明治以来、日本からの移民や駐在員、留学生はアメリカから最新の知識や技術を持ち帰るのが常とされたが、この世界初の民主主義国家は皮肉にも人種差別のみならず移民排斥の動きが強いという本質的な矛盾を抱えるため、日本人共同体が一丸となるのは不可欠だった。とりわけ 1920年代ジャズ・エイジは俗にアメリカが最初の好景気に沸き返った時代とも呼ばれるものの、まったく同時に排外主義隆盛期でもあったから、日本語新聞は、時にアメリカ政府への抗議を英語で発表する媒体ともなった。とうに戦後も終わり、高度資本主義以降に21世紀クール・ジャパンを経たグローバリズムの現代では、日本の文学や漫画やアニメ、ゲームなどが国際的に流通するようになり、欧米人のジャパノロジストの日本語運用能力も驚異的に向上したから、日本人の血が一滴も入っていないジャパノフィリアも、少なからず日本語新聞を愛読しているのではあるまいか。
   その歴史は1900年に創刊された<日米週報>(Nichi-Bei Shuho、のちに「日米時報」と改名、https://www.historyofjapaneseinny.org/artifacts/the-first-japanese-newspaper-japanese-american-commercial-weekly/)にさかのぼる。同紙は 1941年、すなわち太平洋戦争勃発の年まで続いた。その英語セクションは 1939年には <Japanese American Review>へと進化を遂げるも、やはり太平洋戦争勃発で終刊を余儀なくされている。初期の寄稿者にはショートショートの神様・星新一のご父君にして、若かりし日にはコロンビア大学で学んだ星製薬の創業者・星一(ほし・はじめ)氏も含まれていた。
   戦後 1945年に創刊されたのが、<北米新報>である。これはニューヨークでは <Nichibei>のタイトルで親しまれ、 1993年まで続く。北米の日本人学校がぞくぞく創設されるのが 1970年代前後の高度成長期であるから、同紙が果たした役割は大きかった。
   21世紀現在のニューヨークでも、日本語新聞の伝統は絶えることがない。
   年代順に並べれば、週刊の<NYジャピオン>(  Weekly NY Japion、2001年創刊)、月2回刊の<よみタイム>(Yomitime、 2005年創刊)、<週刊ニューヨーク生活>( Shukan New York Seikatsu、2004年創刊)などなど。いずれも日本食専門店 DAIDOや美容院などで無料配布されており、発行部数数万部。みなウェブサイトを携えているからバックナンバーも容易に閲覧可能。ニューヨークで暮らすためには必須の情報ツールだ。
   特に<週刊ニューヨーク生活>には、毎年五月にニューヨーク学院のオーケストラとチア軍団が参加するセントラルパーク・ウェストのジャパン・デイ・パレードなどがかなり大きくフィーチャーされるし(https://www.nyseikatsu.com/ny-news/05/2023/38313/)、昨春にはオムニバス “Triculture”講演シリーズの講師として登壇された早川書房社長(慶應義塾評議員)早川浩氏のロングインタビューも掲載(https://www.nyseikatsu.com/ny-news/05/2023/38313/)。
   ニューヨーク育英学園とニュージャージー日本人学校が協力提携関係を結びJOES(海外子女教育振興財団)の綿引宏行理事長を迎えた調印式に私がオブザーバーとして臨席したことも、その 2月 28日号で報道された(https://yomitime.com)。

中でも<Daily Sun New York>は 1984年、カリフォルニアはロサンジェルスで創刊された<日刊サン>( The Japanese Daily Sun)が起源という一番の老舗である。 21世紀に入った 2003年には、<日刊サン>のハワイ版とニューヨーク版が相次いで創刊された。そのうち< Daily Sun New York>はニュージャージー州、コネチカット州も睨んだ “tri-state area”を中心に日々のニュースを組む。原則的にデジタルで土日を除く日刊というハイペースで、時としてハードコピー版を配布する時もある。現在の代表である武田秀俊氏は教育面に力を入れているのが特色で、同紙の肝煎りでニューヨーク周辺の日本語学校や予備校のスタッフを中心とした懇親会を年数回開く(2024年 1月に開かれた新年会の写真を掲げておく。同紙の編集部はマンハッタンのど真ん中、ラジオシティの隣に位置する。一番右端が武田代表)。そして本年、彼はついにニューヨーク育英学園の理事長も兼任するに至った。
   そんな同紙に、昨秋から、ニューヨーク学院の連載ページを設けてもらえることになったのを、遅ればせながらお知らせしておきたい。題して “Tricultural Voices from Keio Academy of New York.”  これは、武田氏がたまたま昨年 9月、すでに Season Threeに入ったオムニバス “Triculture”講演シリーズに足を運ばれ、懇親会で生徒たちと歓談されたのがきっかけ。生徒の一人からの強い「新聞に書きたいです!」という要望を受け、ではどのようなかたちで可能かを検討した。その結果、私個人の寄稿よりは私の監修により、学院生活と連動するテーマに即した生徒たちのエッセイを毎回10編ほど集め、毎週水曜日掲載、ワンテーマ3週間で連載していく企画が立ち上がった。

まず記念すべき第一回は、 2024年 10月に3回連載された「芸術の秋、ミュージカルの秋」である。 9年生から 12年生まで全 11編のエッセイを集めた。きっかけは、昨年 9月に “Triculture”講演シリーズ Season Three開幕を飾った、慶應義塾大学文学部国文学専攻出身で長く朝日新聞記者を務め、現在は専修大学教授としても演劇評論家としても健筆をふるう小山内伸氏の講演「ミュージカルの学び方」(How to Study Musical)。彼は大学卒業後にロンドンでミュージカル三昧するために二年間遊学していたほどのミュージカル愛好家で、朝日新聞社へ入社したのは遊学後なのである。ミュージカル熱が高じて研究書を刊行したら、それがそのまま大学からの誘いに繋がったという。第一著書『進化するミュージカル』(論創社、 2007年)が、それである。そこでは、ロンドンのミュージカルとブロードウェイのミュージカルを二部構成で論じ、『キャッツ』や本日中心的にお話になる『ジーザス・クライスト=スーパースター』から『ライオンキング』『ウィキッド』まで19本の名作を細かく分析している。2013年に専修大学教授となった後には、2016年にズバリそのものをタイトルにした『ミュージカル史』を中央公論社から刊行し、十八世紀以後のさまざまな欧米の芸能ジャンルーーすなわちバラッド・オペラからオペレッタ、ミンストレル・ショー、バーレスク、ミュージック・ホール、ヴォードヴィル、レヴューに至るまでーーが乱立し融合することでミュージカルというジャンルが形成されていったことを克明に辿ってみせた。
   小山内氏のブロードウェイ入門に多大な刺激を受けた生徒たちは、本特集では 10月の全校生徒参加シアターデイで観た“MJ: the Musical”(9年生)、“Back to the Future”( 10年生)、 11年生が “Hamilton”(11年生)、  “Hadestown”(12年生)はもちろんのこと、それ以外の作品 “Sound of Music,”“CATS,” ”Back to the Future”についても、熱く語っている。

   第二回は、武田秀俊氏の紹介により実現した、 11月 13日(水曜日)の韓国総領事・金義桓( Euywhan Kim、キム・ウィファンと発音する)氏のニューヨーク学院講演 “The Comparison of Japan and South Korea in view of Globalization”が中心。 今回は、オムニバス講演シリーズの一環ではなく、「生徒たちと対話したい」という総領事の強い希望があったため、あえてドミニク・ツィファルディーニ教諭の「グローバル・スタディーズ」のクラスにおける特別授業という形式を採った。

   もともと福澤諭吉の大ファンという総領事だけに日本史にも造詣が深く、講演ではパワーポイントを駆使して、織田信長から松下幸之助に至る英雄の系譜の中に福沢諭吉を巧みに位置付けてみせた。もちろん、福澤先生のテクストを熟読するならば、たとえば脱亜論では朝鮮に対するスタンスは微妙と言えば微妙であろう。にもかかわらず金総領事がニューヨーク学院での講演を望んだのは、司馬遼太郎好きということ以上に、韓国からすれば日本のソフトパワーの核心に福澤諭吉が潜んでいるからだ。ドミニクのクラスの受講者は8名だが、教室にはコンソラーティ教諭、鹿倉教諭、ベイリーズ教諭、それに山本主事や小谷真理氏までが来場し、総勢40名近くになったろうか。
   金総領事も大熱演で時間オーバー、先生方のみならず生徒たちにも気さくに名刺を配り、質疑応答はメールで行う、と宣言してくれた。その成果が、今回のみ例外的に英文のみによる連載第2回となった。生徒8名による質問の中には、昨今緊張関係が走る日中韓の行方を問うものから島国の日本と半島の韓国の違いを踏まえつつどこまで日韓の類推が可能なのかを問い直すものまでが含まれていたが、金総領事はそれらの全てに丁寧に答え、しかも最後には担当教員であるドミニク自身が総括を行うという充実した内容となった。
   第3回では、私が 2022年の学院長就任直後から、生徒の要望によって開始したブッククラブ活動の近況を紹介。これまでは 19世紀から 21世紀におよぶ英米小説を読んできており、昨年テキストに選んだカズオ・イシグロ『わたしを離さないで』 Never Let Me Go (2005年)の回については、『三田文学』第 159号(2024年秋季号)で「慶應義塾ニューヨーク学院でカズオ・イシグロを読む」というタイトルで報告する機会もあったので、ご覧になった方もおられるかもしれない(https://www.mitabungaku.jp/backnumber159.html)。
   けれども、 2024年の 10月からは、そろそろ日本文学も読みたいという希望があったため、 同年に生誕百周年を迎えた安部公房を選んだ。題して「 KANYブッククラブ報告: 2024年秋――安部公房『箱男』を読む」。

    1968年に日本人初のノーベル文学賞が川端康成に授与されてからというもの、二番手の呼び声が最も高かったのが実存主義作家・安部公房であり、 1993年に惜しくも亡くならなければ受賞は確実だった(同賞は彼の没後一年を経た1994年に大江健三郎が受賞)。 1997年には新潮社版『安部公房全集』(別巻含め全三〇巻)も出揃い、 21世紀には若い世代の安部研究者も出現し、抜本的な再評価が進んでいるのが昨今である。中でも難解ながら都市文学の傑作といわれ出版 50周年を迎えた『箱男』は、今日の眼で読み直しても謎が謎を呼ぶ構成が実感されるが、 10名のブッククラブのメンバーたちはネット時代の感性を研ぎ澄まし、鋭利な感想をぞくぞく展開してくれた。
   この Daily Sun New Yorkの連載は、今後も続行し、ニューヨーク学院のさまざまな側面を、生徒たち自身の「声」によって伝えていくつもりである。

”慶應NY学院トライカルチャー・ヴォイス / Tricultural Voices from Keio Academy of New York ”のURLは以下の通り。

第1回「芸術の秋、ミュージカルの秋」(2024年 10月〜 11月)

https://www.dailysunny.com/2024/10/23/keio-ny/

https://www.dailysunny.com/2024/10/30/keio-ny-2/

https://www.dailysunny.com/2024/11/06/keio-ny-3/

第2回“The Comparison of Japan and South Korea in view of Globalization”( 2024年 12月)

https://www.dailysunny.com/2024/12/04/keio-ny-4/

https://www.dailysunny.com/2024/12/11/keio-ny-5/

https://www.dailysunny.com/2024/12/18/keio-ny-6/

第3回「「 KANYブッククラブ報告: 2024年秋

――安部公房『箱男』を読む」( 2025年1月〜 2月)

https://www.dailysunny.com/2025/01/29/keio-ny-7/

https://www.dailysunny.com/2025/02/05/keio-ny-8/

https://www.dailysunny.com/2025/02/12/keio-ny-9/

 

写真:

Daily Sun New York新年会@ 1/22/2025 

(一番右が武田秀俊代表)。

小山内伸教授講演会後のレセプション。

金総領事特別授業後、生徒たちと。

ブッククラブ・メンバー一同