パーチェス便り

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#24 豪雪のあとに ――2026年度福澤スピーチデイ――

 2025年の暮れは例年通り、入試のために一ヶ月ほど一時帰国していたが、そのころ、12月にはパーチェスで大雪が降ったという話を耳にはさんだ。珍しいな、と思ったものである。私が第十代学院長に着任したのは2022年1月、初めて物理的にキャンパスに来たのはその2月だが、以来4年間というもの、覚悟していた大雪にはさほど見舞われず、どちらかといえば暖冬が続いたからだ。ニューヨークの緯度はちょうど青森県弘前市と同じぐらいであるから、冬になったら間違いなく雪国になるだろうと想定して、頑丈なチェロキージープまで買っていた。一つには、1980年代半ばに留学していたコーネル大学は同じニューヨーク州でもマンハッタンからバスで五時間かかる北部で、ナイアガラの滝やカナダ国境が近い。そこで三年間、3回に及ぶ結構厳しい冬を過ごした経験から、重装備を決心したのだ。ところがここ数年は豪雪に見舞われることなく、肩透かしを食らった気分だった。地球温暖化の影響だろうか、と思ったものだ。

それが1月中旬より、二度の豪雪で積雪量も甚だしく、文字通り二週間もの間、キャンパス内に閉じ込められたのだから、異常事態というほかない。特に一月末に行われた定例の夜の火災訓練では、一面の雪景色の中を全員が体育館に急がねばならなかった。この時、なぜか20名から30名ほどの男子たちが、揃いも揃ってT シャツ短パン姿でドッと走ってきたのには呆然とした。寒さをものともしないパフォーマンスだったのだろうか。

そのせいかどうか、2月初旬には、学院内でインフルエンザが急激に流行した。35名もの生徒がアイソレーションの対象となったので、執行部もこれを非常事態とみなし、第一週の週末2月7日に予定していたボストン大学歴史学教授ブルース・シュルマン氏のオムニバス”Tricultural”講演も、4月25日に延期せざるを得なかった。私と教え子の北村礼子君が共訳した画期的な現代史『アメリカ70年代』(原著2001年、国書刊行会、2024年)の著者であり、ここ二年ほど、学院招聘に向けて準備してきた矢先だったので、斬鬼に堪えない。不幸中の幸いがあるとしたら、シュルマン氏が学院の事情をきちんと汲み取り、延期の日程をすんなり受け入れてくれたことだった。

それに関連して、ひょっとしたら2月11日(水曜日)に予定されていた福澤スピーチデイの方も延期になるかと思われたが、しかしヘルスセンターの有能なスタッフが血の滲むような尽力をしてくださったおかげで、インフルエンザは急速に収束したため、こちらの方は予定通りの日程で行われた。以前も書いたが、私は学院長として初めてパーチェスに来た時の最初の公式行事が福澤スピーチデイで、コロナ末期とはいえ、生徒たちが一丸となってイベントを盛り上げ、質の高いスピーチが並んだのに感銘を受けたのである。今回の講評で長老コンソラーティ教諭も言及したように、これがニューヨーク学院を代表する公式行事であることは疑いない。特に今年は、ハリウッドの助監督として活躍しつつ学院の新しいプロモーションビデオを制作中のためパーチェス滞在中の卒業生アンディ山田氏も、なんと学院の制服姿で登場し、休憩時間に素晴らしい試作品を披露する一幕もあった。この試作映像だけでも学院の魅力がぎっしり詰まっていたものの、ここにさらに福澤スピーチデイの一幕が加わったら、ますます入学志望者が増えるのではあるまいか。アンディ自身の学院時代は、かれこれ四半世紀以上前にさかのぼり、当時は福澤スピーチデイがなかったので、彼も今回、深く感銘を受けたという。21世紀の学院生は幸せである。

 まずは、当日配布されたパンフレットは字が小さくて読めなかった向きもあるだろうから、私が寄稿したメッセージを下記に再録する。

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三田演説館150周年
巽 孝之
(慶應義塾ニューヨーク学院第十代学院長)

  かつて福澤諭吉先生は”speech”を広めるため、1875年に三田演説館を建てました。以来150年。もしも福澤先生が福澤スピーチデイを参観したら、英語でも日本語でも流暢に語る生徒たちの練習の成果に感銘を受けるしょう。しかし、先生は全く同時に、即興の名人でもありました。「学校は製茶業者である」「学校は寺院である」といった類推は、普段から深く物を考えてきたがゆえに即興的に飛び出したアナロジーではないでしょうか。

今年の福澤スピーチデイも実り多い一日になるよう、大きく期待しています。
 

The 150th Anniversary of Practicing Speech
Takayuki Tatsumi
(Headmaster, Keio Academy of New York)

 With the aim of popularizing the form of speech in Japan, Fukuzawa sensei built Mita Lecture Hall in 1875. This year sees its 150th anniversary. If Fukuzawa sensei has a chance to attend Fukuzawa Speech Day now, he will undoubtedly be fascinated with the results of your efforts.  However, practice alone does not guarantee perfection. Now please recall that Fukuzawa sensei was not only the genius of translation but also the genius of improvisation. For instance, he entertained the audience by analogizing a school to a tea manufacturer or a temple. The more deeply you speculate on life, the more easily you can improvise.

Always practice, sometimes improvise. That’s the knack of sharing the pleasure of speech with the audience.

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 かくして今年の福澤スピーチデイは予定通り、2月11日の午後12時40分から行われた。総合司会は泉美穂教諭。オープニングには小池 修平君(G12)のバイオリン・ソロがあり、やがて司会を務めるAika Sudo (須藤 愛花) (G12), Koki Osame (納 公希) (G12)、Haruna Takahashi ( 髙橋 美乃) (G10)の諸君が入れ替わり立ち替わり、巧みなトークで進行した。

 まず第一部のトップを飾ったRino Sasaki (佐々木 璃乃) (G10) & Riko Kawata (河田 凛子) (G10) のコンビによる英語スピーチ”The Power of ‘Whatever’”(「どうでもいい」の言霊)と、二番手のAyuko Goto (後藤 あゆ子) (G10) & Nozomi Ishii (石井 希実) (G9) の日本語スピーチ「いつやるの? 今でしょ!」”When Are You Going to Do It? Now!”は、ともに現代日本語の流行語というよりもキーワードが持つインパクトを、自分たちの経験と主体性を踏まえた文脈で捉え直しているのが興味深い。前者でいう”Power”は日本語では「言霊」になっているが、これは言語学でいうスピーチアクト(speech act)理論、とりわけ事実を説明する言語コンスタティヴ(constative)ではなく、一度それを口にしてしまったら言葉自体が行為になってしまうパフォーマティヴ(performative)として後者にも当てはまる。

 三番目のKayu Hori (堀 賀結) (G12) の英語スピーチ”The Right Life vs.Your Life”(正しい人生vs.あなたの人生)は、まさにそのタイトル通り、世間一般で正しいとされる生き方と自分自身でなければ決して楽しめない生き方との対比を、パワーポイントで幼少期からダンスに親しんできた背景を示しつつ、フィッツジェラルドの『華麗なるギャツビー』(去年が出版百周年!)を絡めて論じた、正論そのもの。堀君を含め、最初の三名は、それぞれ自己実現の主題をはっきり打ち出したといえよう。

四番目の Mai Sugino (杉野 舞) (G12) の英語スピーチ”Psychopathy: Myth vs Reality”(サイコパスのイメージと現実)が暑かったのは、バットマン・シリーズでは脇役ながら昨今では主役としても脚光を浴びているジョーカーがモチーフのひとつであり、現代を語るには欠かせない重要な主題。現在、私のブッククラブで読んでいるJohn Whittier Treat, First Consonants: a Novel (Jaded Iris Press, 2022)も吃音に悩む主人公ブライアンの架空の友人としてジョーカーが登場するので、大変面白く聞いた。もっと深めたら、このスピーチは立派な学術的研究になるだろう。

五番目のKota Matsuo (松尾 航汰) (G11) の日本語スピーチ「髪型」(Hairstyle)は、美容院でとんでもない髪型にされてしまった経験をツカミとして、今回の登壇者の中では一番ウケたのではなかろうか。だが、それをもとに髪型ひとつでもバカにできるものではないことを訴える内容は、至ってマジメなものである。あの場のコメントでも触れたが、1960年代後半から70年代前半、激動の昭和の中で中高生活を送った身としては、長髪というだけで不良扱いされたから、半世紀以上を経た現在、髪型のみならず美容師選択のアドバイスまで含んだこのパフォーマンスは、なんと平和で自由な時代になったことかと、今昔の感があった。

六番目の Yutoku Ito (伊藤 祐徳) (G9) & Rimpei Takishima ( 瀧嶋 凛平) (G9) による和英混在のスピーチ「学校のWiFiが与える影響」(The Affect of the School WiFi)は、ニューヨーク学院のI T環境の規制が対象なので、一種のタブーに斬り込んだ点を評価したい。もちろん、オンラインゲームに支障をきたすなどの個人的事情もあるかもしれないが、このスピーチでは、具体的に勉強やコミュニケーションに支障が出てくる点も指摘されていたため、その点はむしろ、生徒諸君と学院執行部とのコミュニケーションないしはネゴシエーションにより、変わるべきものは変わり、変わるべきでないものは現状維持になるのではなかろうか。ぜひとも福澤スピーチデイで培った説得力を活かしてほしい。

15分間の休憩を挟んで、今度はYumi Kobayashi (小林 佑心) (G12) によるバイオリン演奏のあと、第二部が始まる。

最初の Haru Furusawa (古澤 春) (G11) による日本語スピーチ「妬みと付き合う」(Living with Envy)は、難しい主題を選んだなと思ったが、福澤先生の思想や進化心理学的研究からの洞察を参照しつつ、自己評価が下がりやすい傾向をいかに克服するかを理論的に検討した建設的なもの。妬みは憧れとも表裏一体であるから、論者の方向性は決して間違っていない。さらなる参考文献としては、是非とも社会学者デイヴィッド・リースマン(David Riesman)がいわゆる他人志向を徹底研究した『孤独な群衆』The Lonely Crowd(1950年)の一読を勧めたい。

次のSatomi Katakai (片貝 聡美) (G11) の英語スピーチ”Carpe Diem --- the Courage to Begin”( Carpe Diem. 一歩を踏み出す力)もまた、筆者にとっては1970年代の青春時代を思い起こさせるものだった。スピーカーは自分が極端に内気で自信がないことを前提にしつつ、にもかかわらず自身の好奇心を生かして一歩を踏み出したいと語る。そのキーワードがタイトルのローマ詩人ホラティウスを典拠とする「現在を楽しめ」である。これはユダヤ系アメリカ作家として一世を風靡したノーベル文学賞作家ソール・ベロー(Saul Bellow)の実存主義小説『この日をつかめ』Seize the Day(1956年)がテーマに据えているので、是非とも手に取ってほしい。

三番目の Daiki Goto (後藤 大輝) (G12)の日本語スピーチ「文明開花宣言」”A Declaration of Cultural Awakening”は、第一部の松尾君とは別の意味で、激動の昭和を思い起こさせるものだった。ネットで世界中がつながっている21世紀現在、われわれが日本文化だと思っているのは本当に日本文化なのかという本質的な問いかけから始まって、今の日本人は日本文化が海外でどう受け止められているかばかりを気にしている、日本文化の所有権を自分たちがきちんと主張することが必要ではないか、という主張は、激動の昭和からすれば、一瞬まことに贅沢な悩みに聞こえる。1960年代から70年代にかけて高度成長期を経た日本人がエコノミック・アニマルと呼ばれるほどに欧米を脅かした時代は確かにあったものの、日本文学の翻訳も大衆文化の紹介もおぼつかず、現代日本小説の英訳がコンスタントにベストセラーになるのは1990年代の村上春樹や吉本ばななの輸出を待たねばならなかったからだ。そこから「クールジャパン」と言われる現象にまで発展するのは、21世紀初頭を待たねばならない。しかし、それほどに日本文化がグローバルになってしまったからこそ、かえって日本的独自性の回復を願う気持ちは、よくわかる。そうしたメンタリティは、海外文化の模倣から脱却しようと足掻いていた激動の昭和の若者たちと、どこか通じるところがあるからだ。

四番目のHanna Tsukada (塚田 帆南) (G12) による英語スピーチ”From His ‘Sky’ to Mine”(彼の「空」から私の「空」へ)は、スピーカーの父が経験した30年以上前のアメリカのユタ州を昨年、娘である自分が追体験し、そこへ現在のアメリカのニューヨークで学ぶ自分を接続するというダイナミックな視点が興味深い。一つの家族がアメリカのそれぞれの時代、それぞれの地域を経験し語り継ぐことで、将来の世代に残せる遺産は、間違いなく存在するだろう。近くオムニバス講演シリーズで招聘する古本武司氏は戦時中の日本人強制収容所で生まれ育ち、戦後は家族の故郷である広島へいったん帰りつつ、やがて再びアメリカへ舞い戻り、1960年代にはヴェトナム戦争に従軍するという数奇な運命を辿ってこられた。各世代の体験がそれぞれ異なるからこそ、この世界にも類例のない多文化国家の本質がいっそう深く理解できるはずである。

五番目で福澤スピーチデイ全体の大トリを飾るYuito Ozawa (小澤 唯人) (G12) & Riku Kanaya (金谷 陸玖) (G12) の日本語スピーチ「慶應ニューヨークでの学び」”Learning in Keio New York”がテーマに据えたのは、なんと慶應義塾ニューヨーク学院そのものを家族とみなす視点だ。寮生活に入って、当初は日本語派と英語派の違いから一線を画していた友人同士がクラブ活動を通してその垣根をどんどん取り払い、信頼と友情を培って、気がついたら家族のようになっているという歩みを、対照的な視点から巧妙に炙り出していた。

今回、福澤諭吉先生そのものに真正面から取り組んだスピーチがなかったのが惜しまれるが、しかし定番の自己実現ものだけでなく、慶應義塾ニューヨーク学院そのものをモチーフないしテーマにしたものがいくつか散見されたのは、過去五年間では見られなかった新しい現象である。それは、自分が棲息する環境そのものに対して批評的視点を培うほどに豊かな認識が育まれるようになったことを意味しよう。