パーチェス便り
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#4 オムニバスの仲間たち
第二回「編集狂の日々」で述べた通り、ニューヨーク学院着任以来、学校新聞や研究紀要を創刊できたことの背景には、私自身が長年、大学や学界で編集作業に慣れ親しんできた歴史がある。
しかしもう一つ、限りなく編集に似た別の作業にも四半世紀以上勤しんできたため、その要領も学院で活かそうと考えた。これをお読みのみなさんは、すでに昨年 10月から始まった “An Omnibus ‘Tricultural’ Lecture Series: Transpacific, Transcultural, Transdisciplinary”はおなじみだろう。 SF&ファンタジー評論家の小谷真理氏を皮切りにコーネル大学教授アンドリュー・カンパーナ、 MIT教授イアン・コンドリー、イエール大学教授アーロン・ジェロウ、それについ先日の劇作家の坂手洋二の諸兄姉を迎えたシリーズは、最近では生徒諸君からの講演後やレセプションにおける積極的な質疑応答も日常的な風景となり、企画者としてはうれしい限りだ。ただし、これを実現できたのは、私が現役の文学部教授だった期間に、長年関わり、ノウハウを培ってきた「原型」があったためである。三田の文学部では「総合講座」と呼ばれるオムニバス形式の通年授業が、それだ。
複数の教員がコーディネータを務め、毎年のテーマからそれにふさわしい講師候補まで自由に決定し、週替わりで学内学外からさまざまな講師を招聘して、各コーディネータが責任をもって司会進行に当たる。気心の知れた同僚たちと、打ち合わせと称する討議や飲み会を不必要なほど頻繁に重ねながら、刺激的なテーマが捻り出され、各人のコネクションによる、これまでにない人選が決まっていく時ほど、わくわくする時はない。慶應義塾の学内にこんな面白い人材がいたのか、ぜひ会ってみたい、という好奇心から声をかけることもあれば、これまで一面識もないけれど今年のテーマには不可欠な人物だから是非とも登壇していただきたい、とお手紙をしたためたこともある。
歴史をふりかえるなら、この総合講座は、1994年に哲学専攻の岡田光弘、心理学専攻の坂上貴之、人間学専攻の宮坂敬造、社会学専攻の岡原正幸、民族学考古学専攻の棚橋訓といった若手教授陣が共同コーディネータとなり立ち上げた。初年度の「自我と意識」から 2022年度の「ジェンダーの変容」に至るまで、世代交代を経ながら 30年以上も続く長寿プログラムについては、下記のウェブサイトにこれまでの歴史がわかりやすくまとまっているので、ぜひごらんいただきたい。
https://keiosogo.blogspot.com/p/history.html
私自身が運営に加わったのは2年目の「イマジネーションとイメージ」以降。文学部からは共同研究名義で特別予算を獲得していたから、希望する講師はほとんど招聘できた贅沢なプログラムであった。実際、ゲスト講師陣はSF作家の小松左京やロシア文学者の沼野充義、暗黒舞踏家の田中泯 (「ユートピアの期限」、 2000年)から哲学者の東浩紀や作家芸術家の小林エリカ(「幸福の逆説」、 2001年)、精神分析学者の土居健郎や映画監督の是枝裕和、プログレ・メタル・ユニット のALI PROJECT(「情の技法」、 2003-04年)、劇作家のつかこうへいや軍事評論家の江畑謙介、競馬評論家の山野浩一(「リスクの誘惑」、 2002年)に至るまで多彩を極めた。
その内容を是非とも活字化して後に残そうという声は、実は 総合講座発足当初から上がっていたのだが、折しも1990年代半ばには、それまで通信教育部の地味な教科書を中心に刊行していた本塾の出版部門が「慶應義塾大学出版会株式会社」として抜本的な改組し、これまで有名出版社で腕をふるったベテラン編集者がバリバリ登用されるようになった。その結果、内容装幀共に充実し、ざっくり言えば「オシャレな本」がどしどし刊行されるようになったので、われわれの総合講座も出版会のラインアップに加わった次第である。その成果は、具体的には下記の全四巻。人文学の危機を突破する叡智が、ここには凝縮されて詰まっている。
宮坂敬造・坂上貴之・巽孝之・坂本光編
『ユートピアの期限』(慶應義塾大学出版会,2002年)
宮坂敬造・坂上貴之・岡田光弘・巽孝之・坂本光編
『幸福の逆説』(慶應義塾大学出版会、 2005年)
『情の技法』(慶應義塾大学出版会、 2006年)
『リスクの誘惑』(慶應義塾大学出版会、 2011年)
詳細は下記を参照されたい。
https://www.keio-up.co.jp/corporate_profile.html