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私の舞姫論「反省の真意」
Posted 01/15/2018 11:00AM

久保 公嗣

 『舞姫』という作品の中には、豊太郎という主人公に映された、森鴎外の過去の人生が詰められている。また、『舞姫』の中には、鴎外からの秘められたメッセージが含まれている、と私は思う。鴎外は、豊太郎という仮の自分を『舞姫』の中に作り出して、過去の自分を表現している。『舞姫』の中では、鴎外は、豊太郎の孤立を能力が高い上の孤立と表現しているが自惚れていない、と書いている。自惚れていない理由として、昔、新聞に海外のことを書いていたことに関して誇りに思っていたことを後悔している、と書かれている。このように、鴎外は自己肯定的なことを書いた後に、読者の視線、世間の目を気にし、いやらしい文章でごまかすことが多々有る。これらを踏まえた上、豊太郎は反省していると言えるのであろうか、この“反省”について考察していきたい。

 鴎外は、豊太郎が、まるで海外での出来事、昔の出来事を反省、後悔している、という風に書いているが、実際は昔のことを誇りに持っていて、それらを自慢しているにすぎない。「彼らは初めて余を見し時、いづくにていつの間に書くは学び得つると問はぬことなかりき。」(鴎外、1986)本当に豊太郎が反省、後悔をしているならば、上文のような文章は書かなかったであろう。また、上文より、言語能力でしか褒められなかったということがわかる。仕事で褒められるならば本来、言語能力ではなく、仕事の出来や他の面で褒められるのではないのであろうか。これらより、言語能力は長けていたが、仕事はあまりできなかったと推測される。更に、「この心は生まれながらにやありけん、また早く父を失ひて母の手に育てられしによりてや生じけん。」(鴎外、1986)という文からは、豊太郎は自分の弱みを受け入れるのではなく、生い立ちにあると責任転嫁をしていると捉えられる。この文より、豊太郎の反省が上辺だけで、自分の責任ではない、と美化しているに過ぎない、ということが理解出来る一文である。

 反省とは、ただ反省、後悔などという言葉で薄っぺらく表現されるものではなく、反省によって今後の改善を提示し、表現してやっと反省になるのではないのだろうか。豊太郎は、本来の“反省”はしておらず、表面上だけの“反省”しかしていない。「この恨みは初めの一抹の雲のごとく〜幾たびとなく我が心を苦しむ。」(鴎外、1986) この文は本来豊太郎の反省、苦悩の深さを表現するものだが、前述を踏まえると、この文は単なる飾り物であり、見せかけの反省によって苦悩の深さを表現している、と読める。

 以上により、豊太郎は本当の反省はしておらず、何を経験しても変わらない人、間の愚かさを、鴎外は描きたかったのではなかろうか。また、この作品は鴎外が自分の体験をもとにして書いていることから、自分自身の過去を肯定し、承認欲求を満たし、当時の心理を誰かに読み解いてもらう為に書いた作品である、と私は考察する。

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