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私の舞姫論「鴎外の日本社会に対する反抗」
Posted 01/15/2018 10:04AM

山口 泰知

 『舞姫』を読んでいると、著者である森鴎外が、自分自身を主人公の太田豊太郎に投影させている、と感じさせる場面がある。文中の豊太郎は臆病であり、優柔不断な性格で、仕事を辞めさせられ、挙げ句の果てには、妻子まで見捨てて自分の名誉を選んだろくでなしのように描かれているのは、なぜなのかと疑問に感じた。読み進めていくうちに森鴎外は、豊太郎の葛藤を描くことによって、自分自身が持つ、当時の日本に対する反抗を、舞姫という形で世間に主張したかったのではないだろうかと思い始めた。

 豊太郎の言葉に、「官長はもと心のまゝに用ゐるべき器械をこそ作らんとしたりけめ」とある。当時の日本で求められた人材というのは、言われたことを言われた通りにこなす機械的な人であり、鴎外にとっては独立の思想を抱く人間の方が、人間味があるように感じられたのであろう。

 また、友人である相沢は、当時の日本を象徴するかのような人物である。まず、彼はエリスと豊太郎の関係を「人材を知りての恋にあらず、慣習といふ一種の惰性より生じたる交はりなり」と、ただの勢いで生まれた関係であるから、すぐに別れろと言う。明治時代の日本では、外国人と恋愛をするなど考えられないことであった。外国人に恋をしたぐらいで、仕事を辞めさせられてしまうような日本の社会に、ドイツに留学していた鴎外は、違和感を感じていたのではないだろうか。

 さらには、『舞姫』の終わりでは、「ああ、相沢謙吉がごとき良友は、世にまた得がたかるべし。されどわが脳裏に一点の彼を憎むこころ今日までも残れりけり」と、豊太郎の相沢を憎んでやまない気持ちが表されている。相沢は、職を失った豊太郎に、新聞社の通信員としての仕事を与え、名誉を回復する手助けをした、豊太郎の恩人であり、豊太郎のセリフにもあるように、世界に二人といない良き友という存在であろう。しかし、豊太郎は相沢を憎み続けている。「自由の風」にベルリンで当たった豊太郎からしてみれば、エリスとの恋愛か、名誉の回復のどちらかを選ばせた相沢を、憎まざるをえなかったのであろう。豊太郎の考えを聞かぬまま、相沢は大臣に、豊太郎はエリスとの関係を絶ったといい、仕事をとるのが当たり前のようにして、豊太郎を名誉回復の道に導いた相沢を、豊太郎は憎まずしていられないのである。結果的に、エリスは精神病院送りになり、子供はエリスの母親に任せるという身勝手な行動をした豊太郎は、悪者のようにも見えるが、本当は恋愛も仕事も両立させたいと考えていたのではないだろうか。

 このように、当時、鴎外は自分の感じていた日本社会に対する不満を『舞姫』に表し、欧米を知る日本人からみた日本という国を、世間に伝えたかったのではないだろうか。そして、当時の日本の常識は決して全てが正しいわけではない、ということを日本に教え、変革を求めたのではないだろうかと、私は考える。

 

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