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22 終わりからの卒業
Posted 03/31/2018 12:05PM

終わりからの卒業

 

 真っ白な表紙。目に止まったその本をめくり、最後のページに目を通す。つるつるのカバーが冷たくて、すぐに積まれた本の山に戻した。私は本を読む時、必ずラストから読み始める。映画でも、最後のチャプターまで飛ばして観終わってから最初に戻す。人には変わってるね、と言われるくらいで済んでいるが、実際はもっと深刻で大変だ。普通の人と同じように物語の終わりを目にすると発作が出るのだ。めまい、吐き気は良い方で、酷い時には呼吸困難になったりする。私はそういう病気なのだ。こんな面倒な病気を患ってからすでに20年が過ぎた。

 「ごめん、待った?」

 あれ。この声。

 少し胸がザワザワして、見つからないようにこっそり数メートル隣の高級宝石店の入口を見ると、思った通りの人がいた。トッ君だ。私の彼氏だ。トッ君の隣には、「遅い」と言いながらピンク色の頬を膨らます、5歳くらい下に見える知らない子。これが彼氏の浮気現場か。初めて目の当たりにした。良い大人になって恥ずかしいことだが、その場で固まってしまった。ちょっと可愛い子だなと思いながら何も出来ないでいると、二人は店に入っていった。二人の後ろ姿を無駄に丁寧に見送った後、つるつるの白い壁と混んできたビルの中の雑音だけが残る。足がふらふらとどこか座れるところを求めて動き出した。適当なベンチに腰掛け、状況を整理する。分かったことは、私とトッ君の6年間に及ぶ交際が終わろうとしているということだった。頭が痛くなってきた。平凡だけど、今思えば同じ空間で起きて食べて寝て、これ以上ない幸せな生活だったのに。終わりが来てしまった。一生この生活が続くと勘違いしていた。結婚どころか婚約もしてないのに。気付くと咳が出ていて、激しくなってきていた。少し胸が苦しい。

 「大丈夫ですか!」

 店員さんかな。大丈夫大丈夫、いつもの発作です。すぐ止まるから… そう思いながら、上半身が落ちていくのを感じた。え、まさか倒れる?人生まで終わったりしないよね?トッ君、助けて。

 「ユイ!」

 トッ君のせっけんの匂いがした時、私は気を失ってしまった。 

 

 

 

 目が覚めると病院で、私のかかりつけの先生とトッ君が病室にいた。トッ君は私のベッドの隣でせっけんの匂いをさせながら物々しい顔で座っていた。咄嗟に寝たふりをした。このツーショットを見ることはずっと無ければ良いと思っていたんだけど。

 「ユイちゃんはラストシーン恐怖症なんだよ」

 「ラストシーン恐怖症?」

 トッ君が眉をひそめる。

 「日本にあと一人いるかいないかというくらい、珍しい恐怖症の一つだよ。ユイちゃんが10歳の頃かな。ユイちゃんは、お父さんが家を出ていったことがきっかけで、好きなもの、大切なものに終わりがくることが怖くなってしまったんだ。本や映画などの物語はもちろん、現実の出来事でも、終わりを連想させることに立ち会うと、パニックが出たりする。世界でもまだ例が少ないのもあって、効果的な治療法がないんだ。」

 10年少し前に、高校の卒業式で過呼吸になって倒れたことを思い出す。それから特に大きなラストシーンと呼べる物も無くて、倒れるほどまでいったのはとても久しぶりだった。しばらく症状が出ていなかったから油断していたのだ。この病気のこと、家族しか知らないのに、トッ君に知られちゃった。しかも別れる直前に。別れづらいだろうな。ごめんねトッ君。トッ君は私よりも辛そうな顔で先生の話を聞いていた。ついさっきまで浮気していたなんて考えられないほど、人の良さが顔に滲み出た顔だ。あれは浮気、だったよね。宝石だし。涙と咳が出そうになるのをこらえて狸寝入りを決め込む。

 「今回はきみが一緒にいたんだね?別れ話でもしたの?」

 「いや、お僕は妹と一緒にいて、出かけ先で騒ぎがあって、何かと思ったら偶然ユイが倒れているところに遭遇して。不幸中の幸いってやつですかね」

 「そうか!」

 ハッハッハッハ、と先生は大きな笑い声を立てた。目をつぶっていても分かるくらい楽しそうだ。定期的に通っているがこんなに先生が笑っているのは初めてだ。私が倒れた理由がそんなにおかしいのか、と少し癪に障ったが、よく考えてみれば馬鹿らしいように思えた。妹だったんだ。言われてみれば似てる。

 そういえば、トッ君は私の心配を取り除くために、自分のことを何でも教えてくれた。私が結末を最初に知っておきたがることを見透かしていたかのように。あと、毎日出来るだけ早く家に帰ってきて、私の作る料理を楽しみにしてくれている。何より、トッ君は浮気とか卑怯なことをしない。絶対に私をそんな方法で傷つけない。6年間ずっと一緒にいた私が一番よく知っていたはずだ。私は意を決し、体をゆっくりと起こした。

 「起きたね。顔色も良い。今日はゆっくり休んで、明日良くなって家に帰ったらいいよ。」 先生は私にだけ見えるようにウインクをして去っていった。気を使って二人きりにしてもらうほどもう初々しい関係じゃないんだけど。そう思いながらも私はそれに少しだけ背中を押されて、一歩を踏み出せるような気がした。

 20年間ずっと避けてきた大嫌いなラストシーン。でも、答えを焦って急いで、終わりにしてしまうのはいつも私だった。お父さんがいなくなって、そこで終わりだと思ってたけど、お母さんと兄弟と力を合わせて暮らして、楽しいことがたくさんあった。幸せだった。大好きだった高校も、卒業してその存在が無くなったわけではなかった。数年後高校の友達と集まると、高校は幸せな思い出話の一つに加わった。時々学校を訪れて先生に挨拶に行ったりして、高校は私のふるさとの一部になった。話にはまだ続きがあったのだ。トッ君との生活も、終わりが見えた時、初めてこの6年間の有難さに気付くことができたのだ。終わりって、人生を楽しくするのに必要なものなのかもしれない。私の口が滑るように動いた。私たちの物語が次の章に動くような気がした。

 「さっきの子、妹さんなの?」

 トッ君は大きな口でニカっと笑った。

 「ユイ、浮気だと思ってびっくりしたんでしょ。」

 安心と幸せと自分の怖がりさに気付いて、お腹の奥から笑いが込み上げてきた。

 「妹ってすぐ分かったもん。眉毛全く同じだし。」

 「あんな三角定規みたいな眉毛、似てねーよ!」

 言葉が出なくなるほど笑ったせいで深呼吸するのに時間がかかった。吐く長い息しか聞こえなくなった時、トッ君が口を開いた。

 「今日、実は、ユイにあげる指輪探しに行ったんだ。妹は心配して付いてきた。ただ、ユイが倒れて、こんな大きな隠し事があって、ユイはまだ俺を信用してないのかなとも思った。全部やめた方がいいかなとも思った。でも終わりが見えた時、やっぱりユイと暮らした時間は何にも代えられないと思ったんだ。だから、指輪、二人で選びに行きたい。」

 私は、この厄介な病気と付き合いながら、ゆっくりゆっくりこの章を終わらせ、未来に進んでいくことができると確信した。

 「うん、私も。それに私ラストシーン恐怖症なんだから、この話は終わらせないでね」

 トッ君が笑うと、白くてつるつるした病院の壁の横で対抗するように並ぶ大きなガラス戸からは、青くて澄んだ初夏の空が広がっていた。

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