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『私の舞姫論』ー舞姫とドグラマグラー
Posted 02/13/2019 02:06PM

 

 森鴎外の傑作、舞姫。明治時代では考えられなかった、自由恋愛について書かれたこの本は、今日では知らぬ者はいない金字塔として知られている。

 あらすじは割愛するが、鴎外が豊大郎に与えた試練というのは、並大抵のものではない。恋人であるエリスをとり、貧しい生活を送るのか。国へ帰り豊かではあるが、エリスに二度と会えないであろうであろう生活を送るのか。どちらを選んでも、後悔の残る選択肢である事は間違いない。ではなぜ、鴎外はこのような選択を豊大郎に突きつけたのか。

 別の本からの引用になってしまうが、私の好きな本にドグラマグラという本がある。精神医学をテーマにした本作の中で、とある教授が書いた論文という形で、こういう言葉が出てくる。「罪というのは、自分の中に隠せば隠すほど光り輝くものである。それを自分の中にとどめておくのは、辛い事である。その罪を表にさらす事で、人は楽になれる。」

 ドグラマグラという小説の性質上、原文のままではあまりに読みにくく長いので、筆者が分かりやすく言葉を要約したが、これこそが鴎外のやりたかった事ではないか。

 ご存知の方も多いと思うが、太田豊大郎のモデルは森鴎外その人である。鴎外は、豊大郎のようにドイツに留学している時に恋に落ち、結果的にその恋人であるエリーゼを捨てて日本に帰国している。エリーゼが実際には発狂せず、その後日本に押し掛けてきた点など、作品と史実に違いはあるものの、大筋の流れは鴎外の実体験と言っていいだろう。

 鴎外はずっと恋人の事を思っていた。その証拠に、彼はエリーゼがイニシャルを縫ってくれたハンカチ入れを、ずっと持っていたそうだ。ドイツでは、婚約すると、女性がハンカチ入れに相手のイニシャルを刺繍して渡す風習があるそうだ。

 そんなに好きだったエリーゼの事を、結果的には裏切ったのだ。彼が罪の意識に悩んだ事は、容易に想像できる。舞姫作中でも、豊大郎がエリスに真実を打ち明けるべきか迷った結果、雪降る街を彷徨い、倒れてしまうシーンがある。鴎外は、エリーゼを裏切った事に強い罪悪感を抱いていた可能性は高い。

 だからこそ、彼は舞姫を書いたのではないか。自分の罪を世間にさらけ出す事によって、罪悪感から解放されたいと思ったのではないか。

 鴎外は、舞姫を発表した後、凄まじい批判を受けた。当時の価値観では、鴎外あるいは豊大郎のやった事は考えられない事だったのだ。それこそが、鴎外の狙いでないか。自分の罪をさらし、批判を浴びる事により、自分の中の罪を少しでも軽くしたかったのではないか。

 先ほどもあげたように、鴎外は作品の中で、現実に起こった事よりも少しオーバーに書いている。エリスの発狂などは、現実には起こらなかった事だ。

 あえてオーバーに書いたのは、読者に自分の犯した罪を分かりやすくするためではないか。そうして、作品中でエリスに悲劇的結末をとらせる事によって、読者に同情心を抱いてもらい、自分に批判が向くように仕向けたのではないか。今風の言い方をすると、彼は叱られたかったのではないか。

 この考えは、あくまで一つの仮説にすぎない。想像の域を超えないと言われたら、それまでだ。しかし、エリスが発狂した理由など、今まで謎であった部分に説明がつく部分もある。という訳で私は、鴎外が舞姫を書いたのは罪悪感から逃れたかったからだと思う。

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