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私の舞姫論
Posted 02/13/2019 02:07PM

 

 「ああ、相沢謙吉がごとき良友は世にまた得がたaかるべし。されどわが脳裡に一点の彼を憎むこころは今日までも残れりけり」これが豊太郎が『舞姫』において残した最後の言葉である。私は19年間人生を生きてきたが、これほどの恨みを人に覚えたことはまだない。果たして最愛の人との別れが原因とはいえ、ここまでそのような理由で人を恨むことができるのであろうか、と私は疑問を抱いた。そこで私は、豊太郎の抱えている恨みには相沢以外に自分自身への恨みもあると仮定して豊太郎という人物について言及していきたいと思う。

 豊太郎が何も手をつけられないほどの恨みを抱く原因として、相沢がエリスではなく、仕事を優先するため日本に戻るということを、豊太郎より先に伝えたことで、エリスは本来持っていた魅力的な容姿と性格を失った。このことに対しての怒りを豊太郎は相沢へぶつけているが、もし、相沢が伝えなかった場合はどうなったであろう。いずれにせよ豊太郎はエリスにこの真実を突きつけなくてはならず、結果は変わらなかったであろう。『舞姫』からわかるように豊太郎は留学中の様々な経験により、機械的な人間からある程度人の心情や自分を客観視する視点を身につけている。つまり、豊太郎も相沢がエリスに日本に帰る事を伝えなかったとしても、この事態が避けれないものであった事は、容易に想像できたはずである。そこで浮かび上がるのが、今回私が主題としている、恨みの矛先への矛盾である。豊太郎は自分を恨んでいるのだ。本来エリスに憎まれるのもエリスを壊すのも自分であったはずなのに、自分の危機を救ってくれた相沢にその大役をもさせてしまったことに対しての絶望感が、彼を覆って離れなかったのだ。初めて受けたこの感情とどう向き合えば良いか分からなかった豊太郎は、不安なものから逃げる道を選択し、その絶望感を恨みへと変え相沢にぶつける事によって、自分を正当化する事に走ったのだ。

 ここで豊太郎がいかに愚かで自己中心的な人間であり、成長したように描かれているものの、27歳にもなって心が未熟で、自分の感情さえコントロールできていない様子が伺える。不安なものから逃げる道を選択した豊太郎の行動は、まだ豊太郎が機械的な人間であった時によく行っていたことであり、ここから豊太郎は無感情な人間になったのではなく、ただ自己中心的に振る舞い、他人を乱し、わがままを言っている子供にしか私には映らない。本当に最愛の人であるのなら自分の出世などには目もくれずエリスとの時間の方がかけがえのないものであったであろう。エリスを助けたのも一目惚れなどではなく、自分が機械的な人間を卒業した証が自分に欲しかったが故に昔の自分ではしなかった事をする事に価値を見出したのである。

 『舞姫』を断片的に読み進めると筆者である森鴎外が伝えたかった事は究極の二択である「仕事」か「恋愛」を考えさせる物語のようにも読めるが、私は豊太郎が人間の愚かさと自分の感情をコントロールできない人がどれだけ周りをかき乱すかを体現している物語だと私は捉えた。結論として豊太郎は愚かでまだまだ成熟しきっていないため、その先の人生でも彼が成長しない以上彼は色々な人の人生を狂わせる事だろう。私は筆者である森鴎外は豊太郎を通じて読者に対して世の中の不条理との葛藤の他に森鴎外自身が抱える世の中への絶望感を訴えてるのではないかと考える。

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