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『私の舞姫論』当時の日本人の意識
Posted 02/13/2019 02:10PM

 

 『舞姫』が森鴎外によって執筆された当時、日本政府は日本の発展に貢献できる有能な人材を育てようと海外に国費留学生を送っていた。主人公の豊太郎もその国費留学生の一人で、彼はドイツで日本政府のために仕事をしつつ、大学に通っていた。そして、そのような生活の中で、彼はエリスというユダヤ系ドイツ人の女性と出会い、恋に落ち、その恋を諦めて日本に帰ることになるのである。

 この作品において考えるべき要点はいくつかあるが、その中で最も重要なのは当時の日本人男性が持っていた固定観念と恋愛に関する意識だろう。これらはこの作品のテーマでもある。

 森鴎外は『舞姫』を彼自身が経験した事柄に基づいて執筆した。森鴎外自身も陸軍医としてドイツに滞在し、そこでエリーゼという女性と恋に落ちた経験があるのだ。この物語に登場する相沢と天方大臣も、それぞれ森鴎外の友人の賀古鶴所と山縣有朋大臣という元になった人物がいる。つまり、『舞姫』とは、日本全体がまだ西洋の考え方を受け入れきれていないという特異な時代において、森鴎外が日本人としての意識とドイツで学んだ思想の間に挟まれて感じたことについて綴ったものとも言えるのだ。

 豊太郎がその当時の日本人男性としては当然の固定観念に囚われて、いかにして彼のエリスとの恋愛が報われない結末を迎えたのかということが『舞姫』には記されている。作中では、豊太郎が外国の思想と日本人としての意識に挟まれ苦悩している日本人、相沢が典型的なエリート日本人男性として描かれている。当時の日本人男性の理想像は、口数が少なく、威厳があり、強い意志を持っているというものだった。これを体現しているのが相沢である。

 豊太郎の場合、思想は欧米の考え方に影響されていたが、彼の根本と振る舞いは日本人男性の典型的なものだった。それゆえに、豊太郎は日本人男性としての意識と、欧米の考え方との間に挟まれて苦悩していたのだ。豊太郎曰く、彼は大学の自由な風に触れたことで日本人として周囲から求められていた「所動的、器械的」な部分を取り払えたと感じたが、実際には彼も気がついたように「足を縛して放たれし鳥のしばし羽を動かして自由を得たりと誇りしにはあらずや。足の糸は解くに由なし」という状況にいたのである。つまり、豊太郎は周囲が日本人としての彼を求める限り、根幹にある日本人としての意識からは依然として逃れられないと気がついたのだ。

 森鴎外はこの日本人としてこうあるべきだという固定観念を豊太郎に良い影響を与えるものとして描写していなかった。それどころか、その固定観念があったためにエリスに「愛している」と伝えることもできなかったというように記しているのだ。皮肉なことだが、語学に長けていた豊太郎は一番話すべき人物に自分の考えていること、感じていることを伝えることができなかったのである。

 豊太郎に森鴎外自身の置かれていた状況を投影することで、森鴎外は当時の日本人が外国で感じた苦悩を記した。つまり、森鴎外は日本人が持っていた固定観念を取り払って新たな時代に進むべきだと伝えたかったのではないだろうか。その証拠に、『舞姫』は豊太郎の相沢に対する恩義と恨みに苦悩する描写で終わっているのである。これは、恩義が当時の日本の良い部分である留学制度、恨みが日本人の固定観念である自由恋愛を受け入れない点を表しているとも捉えることができる。当時の日本が持つ近代化という理念と、日本人が意識していた恋愛と自由に関する制限がいかに矛盾しているのか。そして、日本人の思想を世界に通用するように適応させる必要性を、森鴎外は『舞姫』を通して伝えたかったのだろう。

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